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第七巻 ヨーロッパとアジアの間

歴史書の4冊目、1605年のボリス・ゴドゥノフ帝の死から始まった、ロシアの動乱時代の歴史を解説します。

イワン雷帝の子フョードルが死んで、由緒あるリューリク朝が途絶え、その後を継いだボリス・ゴドゥノフもいまいち権威に欠けたため、ボリスの死後、ロシアは正当な君主が不在と言える混乱状態に。アクーニン氏によれば、これはモンゴル帝国から伝わった専制君主制の弱点で、強力な君主がいなくなると、国家が根底からもろくも崩れてしまうのだとか。

死んだはずのイワン雷帝の王子ドミトリーの偽物が現れたのを皮切りに、ポーランドが侵攻して来たり、民衆やコサックが蜂起して暴れまわったりします。ちょうど時期的にも日本の戦国時代のような感じですね。

それを何とかおさめたのが、ロマノフ朝を築いたロマノフ一族。本の後半は、2代目のアレクセイ・ミハイロヴィチの治世についての解説に、多くのページが割かれています。このアレクセイ・ミハイロヴィチは、有名なピョートル大帝の父親です。

なにぶん動乱時代なので、ひたすら反乱と戦争と暗殺の記述が続き、だんだん飽きてきますが…、この時代を舞台にした「ジャンル」シリーズ第一巻「児童文学」や、ニコラス・ファンドーリンのシリーズ第一巻「アルティン・タラバス」と合わせて読むとよろしいかもしれません。。

参考画像

絵画で見るロシアの歴史。

イワン雷帝の死んだはずの息子の名をかたって即位した、偽ドミトリー一世。どこの馬の骨とも知れないが、けっこう有能な人物だったようです。いくつかの肖像画がみんな似た風貌なので、本物もこんな顔をしていたのでしょう。
偽ドミトリー一世を倒して皇帝になったワシーリー・シューイスキー。さわやかなルックスに描かれていますが、実際は背が低くて目が悪く、性格も嫌な感じだったらしい。4年ほどで帝位を追われ、最後はポーランドの抑留下で死んだとか。
ウクライナでポーランドに反乱を起こしたコサックの首領フメリニツキー。
ロシア南部で蜂起したコサックの首領スチェンカ・ラージン。ロシア民謡のテーマになって有名みたいです。
ロマノフ朝のアレクセイ・ミハイロヴィチ帝。ピョートル大帝の父親。人柄は善良だったらしい。

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