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第七巻 戴冠式 -あるいは最後のロマノフ-

ニコライ二世の戴冠式が行われる1896年のモスクワで、幼い大公が誘拐された。いわゆる誘拐もの小説。

この作品のタイトルは「コロナーツィヤ、イーリ パスレードニイ イズ ロマーナフ」で、日本語訳は「戴冠式、あるいは最後のロマノフ」です。「最後のロマノフ」というのはニコライ二世のことですね。

ただ「あるいは~」の部分はロシア語が間違っています。このフレーズが、登場人物であるイギリス人ミスター・フレイビーの間違ったロシア語からとられたためです。正確には「パスレードニイ イズ ロマーノヴィフ」にならないといけないそうです。

じつはこれには仕掛けがあって、間違ったままの「パスレードニイ イズ ロマーナフ」だと、「最後の小説」を意味するのだそうです。かけてるわけですね。でも、この作品はファンドーリンシリーズの最後の小説でもないし、なんでこんなところをかけたのかが分かりません。

登場人物

ファンドーリンとマサ以外の登場人物たち。

架空の人物

アファナーシイ・ジューキンこの作品の主人公で、彼の一人称で、日記として書かれている。日記にしては長すぎますけどね。ゲオルギー大公に使える執事。46歳・独身。
ドクター・リンドミハイル大公を誘拐した主犯。身代金として、ロマノフ家の財宝である巨大ダイヤモンド「オルロフ」を要求。
マドモワゼル・デクリック誘拐されたミハイル大公の家庭教師でフランス女性。
ミハイル大公ゲオルギー大公の4歳の息子。父と一緒にモスクワにやってきた。ドクター・リンドの一味に誘拐されてしまう。
ゲオルギー大公先帝アレクサンドル三世の弟で、ニコライ二世の叔父にあたります。主人公ジューキンの主人。基本ペテルブルクに住んでいるが、戴冠式に出席のためモスクワにやってきた。
クセニヤ大公女ゲオルギー大公の娘。若くて美人。父と一緒にモスクワにやってきた。
パーヴェル大公ゲオルギー大公の長男。父と一緒に戴冠式に出席するためモスクワにやってきた。
エンドルング海軍士官で、いまはパーヴェル大公のお付きみたいな役。「カーメル・ユンケル」という宮廷の身分を授けられていて、これは文官の五等官に相当するらしいが、よく分かりません。パーヴェル大公に悪い遊びを教えるジゴロな男。
ベンヴィル卿イギリスの貴族でゲオルギー大公の友人。招かれて戴冠式見物にやってきた。
ミスター・カッルベンヴィル卿がつれてきたイギリス紳士。女性的な同性愛者。
ミスター・フレイビーベンヴィル卿の執事。英語しか話せない。この人の名前は「Freyby」とつづることになっていますが、実はこれは、ロシア語のキーボード配列では「Акунин=アクーニン」となります。
キリル大公ゲオルギー大公の兄。つまりニコライ二世の叔父。第四巻でもでてきましたね。かなりの権力者。
シメオン大公ゲオルギー大公の弟。つまりニコライ二世の叔父。モスクワ総督。第六巻にも出てきます。ちょっと悪役的。同性愛者だそうで...。
ソーモフモスクワでジューキンの仕事を補佐する執事?役人?
イザベラゲオルギー大公の愛人。でもパーヴェル大公にも言い寄られている。
カルノヴィッチ宮殿警察の指揮官。
ラソフスキーモスクワ警察長官。誘拐事件の捜査では、カルノヴィッチとライバル関係にある。実在のモスクワ警察長官ヴラソフスキーの名前をもじっているそうです。

歴史上実在の人物

ニコライ二世ご存じ最後のロシア皇帝。日露戦争でつまずき、第一次大戦でも大損害。あげくに革命を起こされ、最後は家族もろとも処刑されてしまいます。この作品では、祈ってばっかりでぱっとしない人物として描かれていますが、実際はどうだったんでしょうか。

ストーリー

ネタバレにならない程度に解説。この作品は日本語訳が出ていませんが、英訳があるので、結末はそちらでご確認ください。

ミハイル大公、誘拐さる

主人公ジューキンは、ゲオルギー大公の執事。ニコライ二世の戴冠式に出席する大公に従い、ペテルブルクからモスクワにやってきた。宿泊所として割り当てられたエルミタージュ宮殿(有名なサンクトペテルブルクのエルミタージュ美術館とは別物)のきりもりや召使の手配など、苦労はつきない。しかも大公は友人のイギリス人を招待したので、負担は倍増。

それでもなんとか宿を整えた。夕方、クセニヤ大公女・ミハイル大公・家庭教師マドモワゼル・デクリックと散歩に出かける。そこで謎の一団に襲われるが、ファンドーリンとマサに助けられる。しかしうっかりミハイル大公が誘拐されてしまう。

ドクター・リンドが身代金要求

犯人は世界的な犯罪者「ドクター・リンド」だった。ロマノフ家宛てに、財宝「オルロフのダイヤモンド」を身代金として引き渡すよう要求がある。

ニコライ二世以下、大公たちがあつまり緊急会議。ファンドーリンの提案で、追加身代金を支払う代わりに、引き渡し期限を延ばしてもらうことにする。ドクター・リンドから、100万ルーブルの要求があり、ジューキンが配達役に指名される。

そんな中、クセニヤ大公女はファンドーリンに惚れてしまう。非常時に何やってんすか。

宮殿警察のカルノヴィッチとモスクワ警察のラソフスキーは、身代金の受け渡し現場に多数の捜査員を配置するが、警備は失敗。身代金だけ取られる。その後、配達役はマドモワゼル・デクリックが指名される。

捜査は進まず財宝だけ取られ放題

引き延ばしの代償として、リンドはロシア皇后所有の宝石を次々と要求。警察もなすすべなく、ぜんぶ取られる。

ファンドーリンを怪しく思ったジューキンは、跡をつけて、モスクワの犯罪街ヒトロフカへ。そこでファンドーリン、マサと一緒に、犯罪者の親玉クリチャーを見張る。しかしジューキンの不注意で情報を得たカルノヴィッチが踏み込み、すべては台無しになる。

ついに「オルロフのダイヤモンド」が身代金に

ジューキンは、ゲオルギー大公の愛人で聡明なイザベラにアドバイスを求めに行く。そこでゲオルギー大公とパーヴェル大公が鉢合わせし親子げんかに。

パーヴェルはイザベラとジューキンがつき合っていると勘違いし、ジューキンをみなおす。パーヴェルの指示で、ジューキンはエンドルングと共に、ベンヴィル卿とミスター・カッルの後をつける。同性愛者の秘密クラブに潜入し、意外な光景を目にする。

そんなこんなで、最終的にジューキンとデクリックが「オルロフのダイヤモンド」をもって、身代金の受け渡し場所へ。ファンドーリンも乱入した結果、デクリックがさらわれる。

ファンドーリンとジューキンは、二人でリンドを追うことにし、結果的に警察からも追われる身になる。

リンドの隠れ家を発見。デクリックを救い、最終対決へ

ファンドーリンとジューキンは、ついにリンドの隠れ家を発見。ミハイル大公とデクリックの居場所を探るため、リンドの後をつける。しかしホディンカ広場で民衆の将棋倒し事件が起こったどさくさで逃げられる。ちなみに将棋倒しは本当にあった話で、1400人近くが亡くなったそうです。

とりあえず、ファンドーリンとジューキンはリンドの隠れ家に突入。地下室でデクリックを発見する。デクリックを宮殿に送り返した後、ファンドーリンは何かに気付き、一人で姿を消す。

ファンドーリンからの電話で、ジューキンは財宝を持ってヴォロヴィヨーヴィの丘へ。ファンドーリンと合流したその時、銃を持った人影があらわれる。銃弾を浴びて川に転落するファンドーリン。その結末は…。

挿絵集

アクーニン作品でおなじみの、画家イーゴリ・サク―ロフ氏による挿絵がついています。

主人公アファナーシイ・ジューキン。ゲオルギー大公(皇帝ニコライ二世の叔父)の執事。確かにこんなイメージです。爺さんの代から頬ひげをふさふささせるのがトレードマークだそうな。
このタイプの頬ひげは「バッケンバルド」と言うそうです。
マドモワゼル・デクリック。誘拐されたミハイル大公(四歳)の家庭教師。
ゲオルギー大公の娘、クセニヤ大公女。19世紀末の肖像写真風に、旧字体で「大公女クセニヤ・ゲオルギエヴナ殿下」と書いてあります。
(Е.И.В.В.К = イヨー・インペラータルスコエ・ヴィソーチェストヴァ ヴェリーカヤ・クニャジナー)
皇帝ニコライ二世の叔父、キリル大公。皇帝親衛隊の司令官。19世紀末の肖像写真風に、旧字体で「キリル・アレクサンドロヴィッチ大公殿下」と書いてあります。
(Е.И.В.В.К = イヴォー・インペラータルスコエ・ヴィソーチェストヴァ ヴェリーキイ・クニャージ)
皇帝ニコライ二世の叔父、シメオン大公。モスクワ総督。19世紀末の肖像写真風に、旧字体で「シメオン・アレクサンドロヴィッチ大公殿下」と書いてあります。
(Е.И.В.В.К = イヴォー・インペラータルスコエ・ヴィソーチェストヴァ ヴェリーキイ・クニャージ)
ミハイル大公の誘拐事件を受けて、皇帝ニコライ二世と叔父の大公たちが緊急会議。祈ってばっかで頼りないニコライ二世。右上は、誘拐されたミハイル大公(四歳)。
誘拐犯ドクター・リンドからの脅迫状を、パレード中のゲオルギー大公に届けるジューキン。右上はゲオルギー大公のポートレート写真。海軍総裁なので、提督の軍服を着ています。
心労で疲れ果てたジューキンと、マイペースなイギリス人執事ミスター・フレイビー。
愛人イザベラをめぐって、親子ゲンカするゲオルギー大公とパーヴェル大公。クローゼットに隠れていたジューキンも登場。右上はイザベラの写真。
ホディンカ将棋倒し事件の犠牲者の中に、ドクター・リンドの手下の姿が。ジューキンと警官に変装したファンドーリンが見ています。
マドモワゼル・デクリックのために、女性ものの服を買い集めるジューキンとファンドーリン。最新モードを買ったはずが、デクリックからは完全ダメ出しされてしまう。ちなみに、ファンドーリンに女性ファッションのセンスがないのは、第十巻「ダイヤモンドの馬車」の第二部でも描かれています。

作品のみどころ

史実をおりまぜ、戴冠式のモスクワを巧みに描く

大公家の内情や、当時の執事の生活など、歴史的ディテール描写が満載です。舞台となるのは、新皇帝の戴冠式を控えたモスクワ。1896年、いよいよ20世紀も目前、新時代の始まりです。

しかし、凶悪な誘拐事件によって、即位する前からニコライ二世は前途多難。このあとロシアを待ち受ける過酷な運命について、いろいろと暗い予兆が現れます。

誘拐事件はフィクションですが、史実でも、ニコライ二世はのっけから不吉なことの連続だったようで。この作品でも描かれていますが、戴冠式後の「民衆のための園遊会」で、殺到した民衆が将棋倒しになり、1400人近くが亡くなったそうです。作品では、これもドクター・リンドが原因になっていますね。

小説でも触れられていますが、大惨事の後なのにニコライ夫妻はフランス大使館の晩餐会に出席。「大勢亡くなったのに不謹慎である」として民衆の怒りを買ったそうです。

旧世代の頑固おやじジューキンの物語

全編ジューキンの一人称で語られており、彼の真面目で頑固で融通のきかない性格・ものの見方が描かれています。

執事の仕事に誇りを持ち、ロマノフ家に忠実なジューキン。誘拐事件が起こるまで、彼の世界は旧時代の秩序の中にありました。それが突然脅やかされ、ジューキンは恐怖します。

一方で、ファンドーリンやエンドルングのような破天荒な人々と一緒に冒険することによって、少し彼の視野も広がります。家庭教師のマドモワゼル・デクリックに恋心がつのったりします。

謎めいたイギリス人執事のミスター・フレイビーも「自分の人生を生きろ」とアドバイスしてくれたりします。エンドルングからは「海軍に来いよ」と誘われたりして、「真面目一筋の人生だったけど、ちょっと変えてみようかなーいやムリムリ」と思ったところで、物語は終わります。

実はその後について、あとの第十巻で明らかになるんですねー。こちらもあわせてお読みください。

今までの巻とのつながり小ネタ

他の巻とのちょっとしたつながりが、この巻にもあります。

ジューキンの弟(兄?)の勤め先は

代々皇族の執事である家系に誇りを持つジューキン。しかし独身のため、その伝統は彼の代で絶えてしまいそうです。彼には兄弟(たぶん弟)がいますが、その兄弟は「金に目がくらんで」宮廷執事の座を捨て、成金の家令になっているそうです。

なんでも、「宮廷風の風習」にあこがれる金持ちたちは、宮廷で執事だった人間を、法外な高給で雇うのだとか。「その罪を自覚している」兄弟は、ジューキンとは絶縁状態にあるそうです。

そのジューキン弟(兄)の勤めているのが、銀行家のリトヴィノフの家ということなのですが、この銀行家リトヴィノフは、ひとつ前の第六巻「五等官」に登場する、美女エスフィリの親父です。

第六巻で、ファンドーリンがエスフィリの家を訪れたシーンで、この弟はちらっと出てきます。第六巻を書いた時点で、この小ネタもちゃんと用意されてたんですね。

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