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第三巻 アジアの一部

13世紀から15世紀まで、ロシアがモンゴル帝国(ジョチ・ウルス/キプチャク・ハン国)に支配された時期の歴史書。モンゴル侵攻によってロシアは「東ヨーロッパ」から「アジアの西の端」になった、というのがアクーニン氏の見方で、ゆえに「アジアの一部」というタイトルになっております。

モンゴルの支配下におかれた200年ばかりを、ロシア史では「タタールのくびき」と言うそうで、屈辱と受難の歴史であったということなんでしょうが…ただアクーニン氏に言わせると、モンゴル帝国に組み込まれたことは、いい面もあったようです。ユーラシアの交易ルートにつながったとか、宗教的には非常に寛容だったとか。

当時のロシアの諸公は、競ってモンゴルにへつらって、同じロシア人のライバルを蹴落とそうとしていたようですしね。例外もありましたが。そもそも、こんな昔には「我らロシア人」という民族意識も無かったようでして。

とはいえ税を取られたり、兵士になる男性を供出させられたり、当然過酷なこともあったようです。都市は荒廃し、識字率はゼロに近くなり、各種の工芸技術も失われたとか。さらに刑罰が残酷になったのも、モンゴル支配がきっかけだそうです。

そしてアクーニン氏いわく、モンゴルに支配されたことにより、ロシアではヨーロッパ的な自由な個人という自覚が育たず、アジア的な、権力に従順な民衆意識が生まれた、とかなんとか。これは、プーチン政権に批判的なアクーニン氏の、重要なテーマであるようです。

参考画像

絵画で見るロシアの歴史。

モンゴル帝国の開祖チンギス・ハーン。
ロシアの都市に迫る、モンゴル軍の戦火。
モンゴルの徴税代官に税を納めるロシアの民。「タタールのくびき」という、ロシアにとって屈辱の歴史らしいです。
モンゴルに臣従して勢力を拡大し、ドイツ騎士団やスウェーデンを撃退したアレクサンドル・ネーフスキー。
ウラジーミル大公に即位するモスクワ公のイワン・カリター。「カリター」とは財布のことで、賄賂でモンゴルのハーンに取り入って、勢力を拡大した人物。モスクワがロシアの中心になる基礎を築いたそうです。
クリコヴォの戦いでモンゴル軍を打ち破ったドミトリー・ドンスコーイ。イワン・カリターの孫です。アクーニン作品でおなじみの、画家イーゴリ・サク―ロフ氏による画。

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